来し方行く末

40代後半で転職、これからの人生

お金のために働く。

もっと楽しいブログが書きたいなあと思いつつ、いろいろ探してみたけど、やっぱり私は私なりにしか書けないよなあ。FacebookTwitterもやってない、インスタグラムって何?の世界。なんの自慢話もないし、素敵な日常もない、そんな私にはたまに文章にして吐き出せる、こういう隠れ家的なブログがありがたい。もちろん毎日でも書きたいけど、普段は仕事のウエイトが大きいのでなかなか書く時間もないし、家事や子どものこともあり、それどころではないという感じ。

今の仕事を始めてから趣味の読書もほとんどできなくなり、おでかけしたりショッピングに行ったりするのもおっくうになり、休みの日はほとんど家にひきこもっている。たまった家事も適当にして、体を休めるのが最優先。心の余裕がなくて、自分の家族以外の人との付き合いもぞんざいになってしまっている。

若いときに志し、いちばんやりたかった、ライフワークにしたいと願っていた仕事だけど、復職したもののそんなに甘くはなかった。やりがいを感じる反面、デメリットもそれ以上にたくさんあり、早期リタイアを考えてしまうことも多い。同じ年代の女性と比べても、自分を犠牲にしていると思えることが多々あり、何か損をしているみたいで全然人生を楽しめなくなった。

私が仕事を辞められないのは、いちばんの原因は「お金」。介護職では得ることのできなかった収入が今はある。いちばん下の子が高2なので、1年後には大学受験を控えている。大学院にも進学する予定なので、6年間は学費が必要である。来年は次女の就活も始まり、それに向けてこの冬からダブルスクールで語学学校にも通うことになっている。夫婦で底辺の収入しかない我が家は、しかし子どもにはお金をかけている。子どもたちだけは負け組にするわけにはいかないから。私が形態こそ違えどずっと無理して働いてきたのはそのためだけ。家計を助けるだけなら、もっと気楽に働けるパートで十分なのにね。長女次女ともにそれぞれまずまずの国立大学に進学し、長女は公務員となった。まだ婚活とか心配なこともあるが、とりあえず長女には安心。

しかし自分の幸せを考えれば、次女が大学を卒業すればそれほどあくせく働かなくても大丈夫なのではないか、もっと楽な道もあるのではないかと考えてしまう。これほどまでに無理をした、労基も何もない仕事を続けなくてもいいのではないか、という気持ちにもなる。もう少し家族を大切にした、丁寧な生活がしたい。お金のためとはいえ、こんな心が荒んでいくような仕事を続けていくことが自分の望んでいることかといえば、答えは「NO」なのだ。

やりがいのある夢だった仕事ができているだけよしとするのか、そんな耳障りのいい言葉はもう無視して楽しく気楽に生きるのか。できれば福祉職に20年勤めた経験を活かしたかったけど、自分としては生かせているとは思えても、一旦辞めて復職した身分の私ではそれは評価にはつながらない。

介護職のときは介護支援専門相談員(ケアマネージャー)の資格にもチャレンジしたけど、1回チャレンジしただけであきらめてしまった。大卒資格と社会福祉士の資格取得のために通信大学にも入ったけど、今の仕事に就いて全く余裕がなくなりこれも途中であきらめてしまった。もう一度チャレンジしたいけど、お金の無駄になりそうで躊躇してしまう。

今年はもう間に合わなかったのだけど、来年は発達支援管理責任者の資格をとろうと思っている。研修の締め切りが9月末だった。もっと早く資格の存在に気が付けば今年受けられていたのに。もちろん実費で受けるつもりである。しかしこれも今は人気の職業で、ケアマネと同じくそのうち飽和状態となるだろう。

何か変化というか希望がほしい。今の仕事を続けても、来年は部署も変わるし少しは変化があるだろう。投げるところは誰かに投げないと、自分が全部引き受けてしまっては身が持たない。それに自分が犠牲になってばかりだと、人にもそれを要求したくなるのだ。仕事は全部引き受けず、サボれるところはサボってやるぐらいの気持ちでちょうどいいのだ。

今は何かもやの中にいるようで、前が見えずに苦しい。いつかもやが晴れ、ブログにも楽しいことを書ける日が来るのだろうか。

負け組。

人生ここまで生きてくると、もう展望はない。自分の人生に、特に仕事においてはもう自分はここまでの人間だとあきらめるしかない。何も成しえなかったし、出世もなかった。現場での汚れ仕事ばかりで、日の当たることのない仕事ばかりだった。それしかできることがなかったのだから仕方ない。

また私はひとことで言うと「縁が薄い」というか「影が薄い」というか、本当に透明人間のように存在感がない。興味を持ってもらえることもないし、話も下手なので面白く話せない。お金もないのでいつも地味な格好をしている。目立つのが嫌いなくせに、地味な自分が心からつまらなく思える。

何か本当につまらない自分。根拠はないのに、もっと輝いていたい、何か自分が役にたっているという実感がほしくなってしまう。

 

夏期講習へ~三女高2の夏休み~

三女の高校の個別懇談で、成績が下がってきていることを指摘されていた。高校1年の初期の模試では難関大も夢ではない偏差値だったのだが、現在は徐々に下降線をたどっている。

三女は弓道部に所属している。わが県は弓道部を置いている高校が多いらしく、三女の部活も県大会では上位にいるものの中国大会やインターハイ出場には至っていない。周りには強豪校が多く、進学校の練習時間の少なさを補うために、朝練を実施している。僻地から通う三女は朝練のために毎朝4時過ぎには起床し、5時20分には家を出て電車と自転車を利用し、1時間余りかけて通学している。ストイックな性格のため「疲れた」とか「今日は休む」ということがない。試験週間中も朝練だけはあるので参加している。

「勉強時間が足りない」「(2年になって)成績が落ちている」とは聞いていたが、文理選択で周りに優秀な子が増えたからかな?と軽く考えていた。担任教師より「学校でも居眠りしたり提出物を忘れたりすることはないのだが、疲れていることが目に見えてわかる。今志望校を下げるのはもったいないので、なんとか勉強時間と心身を休める時間を確保してあげてほしい」とのお話だった。

私なりにいろいろ考え、三女の性格も考慮し、塾を利用することにした。「部活は毎日がんばっても6日のうち一日休んで5日がんばってもたぶん実力は同じ。だったらその一日を部活を休んで勉強時間に充てよう」と提案した。三女は塾のためなら部活は休んでもいいとの結論を出し、週に2日塾へ通うことにした。理由がないのに休むのはどうも気が引けるしさぼっている感じもするのだろう。お金はかかってしまうが、三女の性格上仕方がないだろう。

塾については長女次女のときもいろいろ失敗もあり、持論としては「自分で勉強できる子は特に行く必要はない」という結論に達していたのだが、今回は三女のレスパイトのためであり、単に勉強時間の確保でもあるので「どこでもいいかなー」と思っていた。個別授業(マンツーマンとか1対2とかいろいろある)、集団授業、予備校、フランチャイズ型の有名処までいろいろ検討したのだが、都市部にあるちょっと熱めの(上を目指す子の多い、道場的な)塾を利用することにした。集団授業と個別授業(1対2)があるのだが、とりあえず個別授業をお願いする。現在ちょうど夏期講習中のため、夏期講習は集団授業を受けている。駅近のため県内の5本の指に入る進学校の子もたくさん来ているそうで、刺激にもなっているようで三女も「楽しい」と言っている。

成績については私ものほほんと考えており、もっと早く何とかするべきだった。高2とはいえ、もう受験への道のりは始まっている。とりあえず夏休みまでに気がついてよかった。担任の先生に感謝である。

この夏は本命のオープンキャンパスにも行ってみるつもりである。昨年は地元大学と関西圏の公立大学に参加したが、今回は本命なので周りの環境とかもしっかり見てきたいと思う。

三女は今3日間のボランティアに参加(これも単位に入るらしい)。将来の夢に向かって少しずつ動いている。部活動も含め、なんとかやり遂げる方向で応援していきたいものです。

ダイエット中

久しぶりの更新です。今の職場に来て初めての3連休でした(みんな8月に夏休みをとりたいので、必然的に私が早くとることになっただけだけど)。

一日だけは実家に行き、ずいぶん行ってなかったお墓参りにも行きました。どうせお盆は休み取れないだろうから、今のうち。

家族は休みじゃないから、他はどこに行くでもなく、家で主婦業をやっていました。普通に主婦ができること、これがいちばんの幸せですね。普段はほぼ職場に缶づめ状態なのでね。時短家事じゃないととても回らない。

一日はタブレットで映画を2本見た!映画館やレンタルDVDのお店も遠いため、往復の時間だけで疲れてしまう。今は年会費だけ払えば借りに行かなくても映画が見れる時代。田舎に住んでいる者にはありがたいことだ。連休じゃないとなかなか映画も見る気がしない。

ただいまダイエット中なので、ウォーキングや腹筋運動もいつもよりはたくさんできたかな?ウォーキングは犬を連れて30分ぐらい、意識しながら歩くのだけど、なかなかカロリー消費には程遠い。いっそ断食すればよかったかもしれない。

ほんと去年に比べて3㎏ぐらい太ったんですよね。なんか服がどれもこれも似合わないと思ったら、ほとんどおなか周りについてたんですね、お肉が増えた分だけ。これはさすがにマズイ、今まで見たことのない数字だぞ・・・で、焦ってダイエット始めたわけであります。本当に中年太り、みっともないよね。自分で自分が許せないわ~。原因は仕事から帰宅してからの間食。ストレスから解放されてついお菓子を食べてしまっていました。今は間食は意識してやめています。あと3か月以内ぐらいにとりあえず3㎏、いえ5㎏は落としたいです。

年齢のことを言うと、4月で49になったんですが、40代も後半になってくるともう「初老」だなあとつくづく思います。ついこの前40になったと思っていたのに、いつのまにかもう50が目の前。40なんてまだまだ本当に若かったね!体力は少し落ちたことを実感したけど、こんなに老いを実感することはまだ全然なかった。45ぐらいまではまだ若かった。今は何を楽しみに生きていけばいいのかまるでわからない。このまま老いていくばかりで、とても前向きな気持ちになれない。精神的に更年期も関係あるのかもしれないけど。

実家に行ったとき、子どもたちが小さい頃の写真があって、一緒に写っている私もまだ当然だけど若かった(末っ子が2才ぐらいのときだから34~5ぐらいのときかなあ)。髪も長くてもちろん体型もスリム。まさかこんな中年のおばさんになるなんてね。その当時はみじんも考えていなかった。

今子育て世代の人を見ると、とてもまぶしく感じます。特に今子ども関係の仕事をしているからか、自然と子どもやママに目が行ってしまいます。今接している子どもたちからすれば私は「ばあば」の世代なんですよね~。時には年寄りだからと拒否されたり、若い職員を指名されたりすることも多い。態度には表さないけど率直に言うととても悲しい。若いときに勤めていた職場だから、ついつい自分も若い気持ちになってしまうんですが、現実を知らされます。もちろん子どもにとっては若い職員のほうが魅力的だし、求心力も自分にはないことは重々承知なのだけど、傷つくこともある・・・正直。

私たちの世代の存在意義ってなんなんだろう。ずっと仕事を続けていれば今頃は管理職レベルになってそれなりに威厳は持っていると思うけど、長いブランクがあって復職したほうは何もメリットがないような気がする。ただ子育て経験があるのと、社会人生活は長い(他職種で)のでその経験は多少は生かせるのかもしれないけど。それもあえてアピールするのはまだ10年ほど早いような気もするし。

専業主婦だと子どもを育てる親として、家族のために働く人として重宝されるのかもしれないけど、社会ではこんなおばさん何の役に立つのだろう。本当に見苦しいだけではない?そりゃ掃除とか雑用とかしろと言われたらいくらでもしますけどね。

ていうか私に需要はあるのか?一昨年は人手不足のため話をいただいて正職員で雇ってもらったのだけど、今も人手はまだ足りてないけど、でも子どもからすると「ばあば」に需要があるとは思えない。システムが変われば年長児(小中高生)でもよいのだけど、今のところ変わる予定はなさそう。っていうか社会の流れにかなり遅れているので、すでに他施設は小規模、GH体系に変わってますけど。

でも辞めないけどね。いろいろ考えたけど、これ以上職員が減ると支障が出るし、私も子どもにかかわる仕事をまだしていたい。いずれ若い人の補助的役割になるとしても、やっぱり辞めないでおこうと思っています。とりあえずは末っ子が大学(院)を卒業するまでは・・・。それまでには状況が変わるかもしれないし、勤続年数を重ねることで今よりは働きやすくなるかもしれない。とりあえずしがみつく(汗)。

今は、何か前向きになれることがほしいなあ。この年代、みんな何を楽しみに生きているのだろう。旅行とか?とにかく今は痩せてすっきりしたい。この中年体型をなんとかしたい。それともっと気持ちが若くいられるように、健康と元気がほしい。この仕事を続けられるように、かわいいオバチャンになるのが今の目標にしておく。

仕事と人生

4月から社会人となった長女。5月からはクールビズとなったようだが、今のところスーツ等ビジネスフォーマルで出勤、基本週休2日制で暦通りの出勤である。いわゆる地方公務員なのであるが、市町村民さまのために働くということは厳しい面もあるが、社会貢献度は高いほうなのではないかと感じている。働かせていただいていることに感謝、感謝である。

私は新卒で就職してこのかた、一度も暦通り・定時通りの仕事に就いたことがない。ましてやきれいな格好で仕事をしたこともない。肉体労働(保育・介護・障害者支援等)の職場を転々としてきたため、ほとんどジャージばかりだ。シフト制、夜勤ありも当たり前だった。保育や介護等の福祉の仕事は、国が「家事労働の延長」としか認めていないため、給料も安い。自分で希望したということもあるが、実はよく考えてみると「それしかできる仕事がなかった」ともいえなくない。実は誰でもできる仕事なのだから。

私は早々に大学受験を諦め、簡単に入れる短大しか出ていない。もっと勉強しておけばもっと視野も広がっていたかもしれないともうずっと後悔し続けている。

しかも私が経験してきた職場は、ボランティア精神が推奨される職場が多く、公休を使って外出支援をしたりすることが当たり前のところもいくつかあった。職員の良心で成り立っている支援ともいえなくなかった。職員の犠牲の上に、もしくは自己満足とも言い換えることができる。

今の職場もやはりその傾向が強い。対象が子どもなので、可愛さ余ってではないが自腹を切ることも少なくない。これじゃあいつまでたっても私は貧しいままだ。

そろそろ自分のためだけに生きたいなあと思い始めている。やりがいはあるが、自分の人生がなくなった。休みの日は体を休めることと家事や買い出しに精一杯で、自分の楽しみは何もない。本も新聞も読めなくなった。旅行とかショッピングとかも全く考えられない。

かといってこの仕事が日の目を見ることはなく、仕事を通じて誰かの役に立ったり新しい出会いがあったりすることもなく、社会の末端を支えるだけの、社会貢献度の低い仕事である。「考え方を変えれば」という意見もあるだろうが、私は長年福祉の畑にいるのであまりきれいごとを考えたくはない。もう「おなかいっぱい」の状態なのかも。

何か状況を変えたいのだが、方法が見つからない。

自分の仕事と、自分の精神がマッチしなくなっている。

仕事と自分の人生を両立できている人がうらやましい。GWとかどうでもいい。

自己犠牲なんかくそくらえ。

忙しい3月

3月になってしまった。いよいよ長女が大学を卒業する。卒業後は自宅へ戻り、4月からは社会人として自宅から職場へ通うことになる。

あれからもう4年がたったのか。思い出せばセンター試験後に不本意ながら進路変更し、第一志望ではない大学を受験して入学することになったのだが、長女はどう思っていたのかはわからないが、親としてはとても誇らしく、長女の大学のある街へ行くのがとても楽しみだった。大学祭、ゆかた祭り、長女の部活の展示会(書道部だったので)など、よく遊びに行ったものだ。その大学を卒業してしまうことが親としても少しさみしい気持ちがあるのだが、そんなことは言ってられない。4月からは社会人、記念すべきわが子の自立のときが来たのだ!

ということで、現在家をプチリフォーム中である。うちは田舎で昔ながらの日本家屋なので、なかなか使い勝手のいい部屋がなく、2階の洋間は現在三女が使用中。もう1室長い間物置代わりに使っていた9畳の洋室を長女の部屋にするべく、荷物を片づけたり箪笥(昔の嫁入り道具)を階下に持って降りたりとにかく物を動かしている。先日はエアコンが取り付けられた。今日は部屋の一面を壁面本棚にするべく、本棚を発注した。本が好き、漫画が大好き、勉強好きの長女なので、とりあえず大学の本や集めた漫画を置けるように大容量収納できそうである。

あと残るは卒業式と引っ越し。あとはスーツとかも買わないとだなー。

仕事でも担当する子どものことや事務仕事、ハード面ソフト面いろいろ課題が多いのだが、うまく両立していけるだろうか。仕事はようやく自分の役割というか、立ち位置も見えてきて、こうしていきたいというビジョンもできつつあるのだが、やはり日々いろいろ迷いながら過ごしている。いつになったらちゃんとした仕事人になれるのかな?

2月に長女と、長女の住む街であった「高橋優~来し方行く末全国ツアー~」に行ってきたこともとってもいい思い出になった。元気をいっぱいもらい、エキサイトし、ますます高橋優さんが大好きになった。楽しかった!

新年会

前の職場の仲良かった人たちと、新年会と称して一緒に食事をする機会があった。彼女たちとはいわば同志というか、職場の体制に異を唱えることのできるという面でつながることのできた仲間だった。昨年3月末に退職した私にも未だに声をかけてくれている。

施設長自ら遊び人で、体裁だけはいいように整えているが中身は利用者そっちのけの職員主体の介護、ほとんどの職員が勤務態度もいい加減で私語が絶えず、利用者に暴言を吐く。類は友を呼び、腐ったミカンのように全体を腐らせていく。まじめでやさしい人を蹴落とし、いわゆるサイコパスのような職員がのしあがっていくシステムが未だに横行している。

もう限界だったから、今の職場に出戻り転職の話があったときは、渡りに船とばかり喜んだ。今も快適な職場環境とはいえないが、でもやりがいが見いだせる、腐った気持ちにならない、普通にまじめに自分のペースで仕事ができる、という面では本当にありがたいことに恵まれているというか、自分に合っていると感じることができている。

 

とりあえず「仕事に生きる」ことにしたのだ。もうこれ以上転職するのは年齢的にもきついし、介護の仕事自体は嫌いではなかったが、いろいろな経歴の人がいたり弱肉強食の世界で面倒くさい。

この道で、とりあえず自分のできることをしていこう。

周りとも調和をとりながら、人を尊重し大切にしていこう。

それさえ忘れなければ何とかなりそうな気もしてきた。もう少しで丸1年が来るんだなあ。約1年でようやくこの結論にたどりつくことができたよ。